大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 昭和55年(あ)461号 決定 1982年1月28日

主文

本件上告を棄却する。

理由

(上告趣意に対する判断)

被告人本人の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の各判例はいずれも事案を異にし本件に適切でなく、その余は、違憲をいう点を含め、実質はすべて単なる法令違反、事実誤認の主張であって、適法な上告理由にあたらない。

弁護人青柳文雄、同近藤良紹の上告趣意のうち、憲法三七条一項違反をいう点は、記録を調べても、本件において迅速な裁判の保障条項に違反する事情の存在は認められないから、所論は前提を欠き、その余は、違憲をいう点を含め、実質は単なる法令違反の主張であって、適法な上告理由にあたらない。

(職権による判断)

刑法一九三条にいう「職権の濫用」とは、公務員が、その一般的職務権限に属する事項につき、職権の行使に仮託して実質的、具体的に違法、不当な行為をすることを指称するが、右一般的職務権限は、必ずしも法律上の強制力を伴うものであることを要せず、それが濫用された場合、職権行使の相手方をして事実上義務なきことを行わせ又は行うべき権利を妨害するに足りる権限であれば、これに含まれるものと解すべきである。

ところで、刑務所における行刑は、受刑者の名誉を保護する等の見地から、原則として密行すべきものとされているのであるが、裁判官については、一般の部外者について刑務所長の裁量により参観が許されることがある(監獄法五条)にとどまるのと異なり、刑務所の巡視権が与えられている(同法四条二項)。また、刑務所長が保管責任を負う身分帳簿は、行刑密行の一環として秘密性を有し、部外に対する提出やその内容の回答については厳格な規制がなされているのであるが、司法研究の委嘱を受けた裁判官は、研究題目等によっては身分帳簿の内容を了知することが許される場合があるとされている。このように、裁判官に巡視権が与えられ、かつ、現に担当している具体的事件についての証拠調等でない場合にも、身分帳簿の内容の了知が許されることがあるとされているゆえんは、刑務所は裁判所が言い渡した刑を執行する施設であり、裁判官は、適正妥当な刑事裁判の実現というその職責の遂行上、行刑の実情について十分な理解をもつことがとくに要請されるからにほかならない。

右の点にかんがみると、裁判官が刑務所長らに対し資料の閲覧、提供等を求めることは、司法研究ないしはその準備としてする場合を含め、量刑その他執務上の一般的参考に資するためのものである以上、裁判官に特有の職責に由来し監獄法上の巡視権に連なる正当な理由に基づく要求というべきであって、法律上の強制力を伴ってはいないにしても、刑務所長らに対し行刑上特段の支障がない限りこれに応ずべき事実上の負担を生ぜしめる効果を有するものであるから、それが濫用された場合相手方をして義務なきことを行わせるに足りるものとして、職権濫用罪における裁判官の一般的職務権限に属すると認めるのが相当である。

したがって、裁判官が、司法研究その他職務上の参考に資するための調査・研究という正当な目的ではなく、これとかかわりのない目的であるのに、正当な目的による調査行為であるかのように仮装して身分帳簿の閲覧、その写しの交付等を求め、刑務所長らをしてこれに応じさせた場合は、職権を濫用して義務なきことを行わせたことになるといわなければならない。

職権濫用罪における裁判官の職権の範囲・内容に関する原判示は、広きに失する点もあるが、本件に適用する限り、結局右と同趣旨に帰着するものと解されるから、結論において相当である。

よって、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、主文のとおり決定する。

この決定は、裁判官栗本一夫の補足意見、裁判官宮崎梧一の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官栗本一夫の補足意見は、次のとおりである。

一 公務員職権濫用罪の設けられた趣旨は、国権の作用の適正あるいはその威信を保持するとともに、公務員の職権濫用行為によってその相手方たる個人が不当に行動の自由を奪われることのないよう、これを保護しようとする点にあるものと解される。したがって、同罪の成立要件である一般的職務権限についても、明文の根拠規定が存する場合に限る等、徒らに形式的な解釈に陥ることなく、より実質的な観点から考える必要がある。ここでは、公務員の国民に対する権力発動の根拠の有無が問題となっているのではなく、逆に、公務員の不当な行動を抑圧するための要件をいかに解するかということが問題なのであるから、一般的職務権限について厳格な解釈をしなければ法治主義に反することになるわけのものではない。明文がない場合であっても、法制度を総合的、実質的に観察して、当該公務員が他の者に対し公務員としての立場で働きかける権能を有し、これが濫用された場合、相手方をして事実上義務なきことを行わせ又は行うべき権利を妨害するに足りるものと認められる場合には、職権濫用罪における一般的職務権限に含まれると解することは、前述のような同罪の立法趣旨にも合致するものといえよう。

例えば、いわゆる行政指導は、具体的、個別的な明文上の根拠なしで行われ、国民の権利を制限したり、国民に対して義務を課したりするような法律上の強制力を有するものでないとしても、現実には事実上服従を拒むことが困難な実態があるといわれている点に着目すると、公務員が行政指導を濫用して国民に義務なきことを行わせたり、権利の行使を妨害したりした場合には、そこに一般的職務権限の存在を認め、職権濫用罪の成立することがありうると解釈しなければ、国民の保護に欠けることになるのではないかと思われる。

二 裁判官が将来担当することあるべき事件一般の研究・参考とするために行う調査活動を、裁判官の職務権限と認めた一般的、包括的な法令上の根拠は存せず、裁判官の地位・身分に基づいてこのような権限が当然に生ずると解すべき理由もないこと、また、裁判官が公的立場で行う調査活動であるとの外形を有するが故にその調査活動が職務権限に基づくものとなるものではないこと、さらに、司法研究の委嘱を受けた裁判官は、その調査研究を遂行するに際して資料の収集等につき特別の権限を与えられるものとはいえないことは、反対意見の指摘するとおりであり、多数意見も、調査活動の外形や司法研究をもって、本件につき一般的職務権限を認める根拠としているものでないことは明らかである。しかし、裁判官が刑務所長らに対し、量刑その他執務上の一般的参考に資する目的で資料の閲覧、提供等を求めることは、巡視権の存在に端的に表われているような裁判官と刑務所との特殊な関係に徴すると、法令上明文の規定がないとしても、裁判官が刑務所に対し裁判官の立場で働きかける権能として、法制度上、十分な実質的裏付けを有するものというべく、かつ、刑務所長らに対し行刑上特段の支障がない限りこれに応ずべき事実上の負担を生ぜしめる効果を有し、それが濫用された場合義務なきことを行わせるに足りるものであるから、職権濫用罪における一般的職務権限と認めるに欠けるところはないというべきである。

そして、本件について一般的職務権限の存在を肯定し、職権濫用罪が成立しうることを認めたとしても、裁判官が不当な目的で右権限を利用することを抑制しようとするものであること、裁判官と刑務所という特殊な関係においてこれを認めるにすぎないことを考えれば、裁判官を不当に特権視するものであるとか、裁判官の地位の独立性を危くするものであるなどという非難は、全くあたらない。

三 原判決の認定する本件の核心的事実は、被告人に職務上の調査であることを窺わせるに足りる言動があり、刑務所長も裁判官の職務上の調査であると認識したからこそ、一般には秘密とされる身分帳簿の閲覧・撮影を許可したという点にあると解されるところ、多数意見は、この事実を直視して法的構成を行ったものとして、十分に支持しうるものと考える。

裁判官宮崎梧一の反対意見は、次のとおりである。

一 刑法一九三条の職権濫用罪は、公務員がその一般的権限に属する事項につき職権の行使に仮託して実質的、具体的に正当権限外の行為をする場合に成立する犯罪であるから、単に公務員としての地位・身分を濫用したにすぎない場合は、同罪を構成しないことはいうまでもない。また、右一般的権限は、必ずしも法律上の強制力を伴うものであることまでは要しないけれども、少なくとも法令上の根拠を有するものでなければならず、単に相手方が、公務員の行動の外形から権限の存在を誤信するおそれがあるというだけでは足りないと解すべきである。国家、地方公共団体等の権力を行使する公務員は、すべて逐一の具体的事項について国民の意思決定の発現たる法令に基づく授権があってのみ、その権力すなわち権限を行使しうるとなすべきことは、民主主義的法治国家の原理の要請するところであるから、公務員の職権の範囲・内容は、法令によってのみ定められると解すべきであって、法令上の一般的権限の存しないところに職権濫用罪の成立を認めることは、その成立範囲をあいまいにし、処罰の範囲を不当に拡大するとのそしりを免れないのである。

二 被告人が裁判官として、自己の担当する事件につき民訴法、刑訴法の規定に基づき刑務所長の保管する身分帳簿の提出、閲覧を求める抽象的権限を有していたと認めるべきことは、第一審判決のいうとおりであるが、同判決は、被告人が現に担当している事件の裁判に必要であるかのように仮装した事実については証明が十分でないとし、原判決も右の判断を支持している。

三 ところが、原判決は、職権濫用罪における裁判官の職権の範囲・内容には、裁判官が現に担当している特定の事件についてする証拠調等、固有の職務権限に基づく調査活動のほか、裁判官が将来担当することあるべき事件一般の研究・参考に資する目的で、裁判官としての地位・身分に基づいて行う調査や資料の収集行為であって、その方法・態様が調査目的や調査事項と相まって、裁判官が公的立場で行う調査活動であると外形上認められる場合も含まれるとしたうえ、裁判官の言動が司法研究ないしはその準備のために公務所などに対して調査をするものと一般に認められるような外形を伴っている場合や、裁判官が量刑その他執務上の一般的参考にするため刑務所等の関係外部機関に出向いて受刑者や刑余者らに関する資料の提供を求めたりする場合も、法律上の強制力を伴ってはいないにしても、相手方に一定の負担を負わせ、義務のないことを行わせる点では強制力を伴う職務行為との間に差異はないのであるから、これまた、裁判官の一般的職務権限に基づく行為として評価すべきである旨、判示している。

四 しかし、原判決の右判示はこれを是認することができない。

(イ) 裁判官が将来担当することあるべき事件一般の研究・参考とするための調査活動とは、とりもなおさず、適正、公平な裁判をするために備える平素の勉強ないし研鑚にほかならない。裁判は、裁判官に特有の任務であり、この任務はまことに重大かつ困難である。それ故、裁判官にとって平素における不断の研鑚が肝要であることについては多言を要しない。しかし、平素の研鑚をもって裁判官の職務であるとすることのできないことは明らかである。まして、職権ないし権限とみるに至っては、論外というべきである。原判決は、かかる研鑚のための調査活動も場合により裁判官の一般的権限に含まれるとの見解をとるが、裁判官についてさような一般的、包括的権限を認めた法令上の根拠はどこにも存在しない。また、裁判官の地位・身分に基づいてこのような権限が当然に生ずると解すべき合理的理由もない。非裁判官たる公務員も、将来担当することあるべき事務一般の処理に備えて平素の研鑚を怠らないものと考えるが、かかる研鑚のための調査活動を非裁判官たる公務員の一般的権限の発動とみることができないのと、少しも変りはない。ひとり裁判官についてのみ、かかる権限を肯定すべきものとするならば、それは、裁判官をいわれなく特権視するものであると同時に、裁判官について不当に職権濫用罪の成立範囲を拡大し、ひいては裁判官の地位の独立を危殆ならしめる弊を免れまい。

(ロ) 次に、原判決は、裁判官が将来担当することあるべき事件一般の研究・参考のための調査活動も裁判官が公的立場で行う調査活動であると外形上認められる場合には、裁判官の一般的職務権限に基づく行為として評価できるとするが、既に説明したとおり、このような調査活動の権限は、そもそも存在しないのであるから、調査活動の外形の故に権限が生ずる道理のあろう筈はないのである。

なお、この点の原判示は、職権濫用罪の保護法益をもって第一次的には国民個人の行動の自由にあるとなし、公務員の不法な言動が一般国民に職権の行使という外観を与えるような性質のものであるときは、相手方としてもこれに服従又は受忍することをやむなくされる可能性が大であるから、職権濫用の基礎となる公務員の権限は抽象的になるべく広く認めるのが望ましいとする一部の見解に傾斜した考え方に立脚するものと推測される。傾聴すべき一面のあることは確かであるが、濫用の外観を重視するの余り、基本となる一般的権限の範囲を不当に緩和ないし拡大することは、刑法一九三条の構成要件的定型を不明確ならしめるおそれがあるばかりでなく、単なる地位・身分の濫用による不法行為との区別をあいまい化する難点をも包蔵する考え方と評すべく、決して十全であるということはできない。

(ハ) さらに、原判決は、裁判官の言動が司法研究ないしはその準備のために本件で問題とする刑務所のほか、広く公務所などに対して調査をするものと一般に認められるような外形を伴った場合も、裁判官の職務権限に基づく行為として評価できるとしている。

司法研究の委嘱を受けた裁判官は、その研究題目等によっては刑務所長の保管する身分帳簿の内容を了知することが許される場合があるとされているが、司法研修所長が司法研究を委嘱することができることを定めた司法研修所規程(昭和二二年最高裁規程第六号)六条一項は、司法研修所長の内部的な権限を定めたものにすぎず、右規定によって、司法研究員がその調査研究を遂行するに際して、外部に対する資料の収集等につき特別の権限を与えられるものでないことは明らかであるのみならず、他にそのような権限を認めた法令上の根拠を発見することはできない。司法研究員が対刑務所の関係において前述のような便宜を与えられることがあるのは、司法研究員に調査権限を認めた結果によるものではなく、またもとより刑務所長らに身分帳簿の閲覧等を許可すべき法的な義務を負わせたものでもなく、司法研究の性格にかんがみ、身分帳簿の秘密性を解除する正当な理由のある一場合として、その閲覧等が許されることがあるにすぎないのである。原判示に従えば、司法研究員たる裁判官が広く他官庁や民間の各種団体、企業等に対してまで調査権限を有することになろうが、そうであるとすると、行きすぎもまた甚だしいと評しなければならない。

なお、司法研究は、前述した裁判官の平素の研鑚の場合とは異なり、司法研究の委嘱を受けた裁判官にとってはその職務に属すると解するのを正当としようが、職務の存するところ形影相伴うごとく必ず職権があるとしなければならないものではなく、却って、職務であっても職権の伴わない例が必ずしも少なくないことは被告人所論のとおりであるから、司法研究に職務性を認めながら、同時に、司法研究ないしそのための調査活動に職権性を否定することに矛盾があるとすることはできない。付言するに、司法研究の委嘱を受ける前の段階においては、職務性すらこれを認める余地はありえないから、司法研究の準備のための調査活動について職権を肯認する原判示部分は、二重の誤りを犯したものとの非難に値する。

かような次第であるから、裁判官の言動が司法研究ないしはその準備のための調査であるという外形を伴っている場合や、裁判官が量刑その他執務上の一般的参考にするため刑務所等に出向いて受刑者らに関する資料の提供を求めたりする場合であっても、これらの調査を裁判官の一般的権限の行使とみることはできないのであって、これに反する原判示は、到底是認できないといわなければならない。

五 多数意見は、職権濫用罪における裁判官の職権の範囲・内容に関する原判示は広きに失するとして原判決を非難しながら、裁判所と刑務所との間に存する特別の関係よりして認められている裁判官の巡視権と司法研究の委嘱を受けた裁判官が身分帳簿等の内容を了知することが許される場合のあることを拠り所として、調査対象を刑務所に限定し、裁判官の司法研究ないしはその準備のための調査活動や平素の研鑚のための調査活動も、対刑務所に関する限り、裁判官の一般的権限に属すると認めるのが相当であるとして、結局において、原判決を維持するのである。

なるほど、刑務所の巡視権は、監獄法の規定によって与えられた裁判官の権限である。しかし、原判決は、本件が巡視権の行使を仮装した事案であるとか、また相手方である程田所長が巡視であると認識したとか認定しているわけではないのであるから、本件について巡視権を云々して事を論ずるのは決して当をえたものということはできない。そして、司法研究が裁判官の一般的権限とは全く無縁のものであることは、既述のとおりである。

多数意見の最大の弱点は、上述したとおり、公務員の一般的権限は法令上の根拠なくしてはこれを認めることができないとすべきであるにかかわらず、本件につき、法令に代えるに刑務所と裁判所との間に存する特別の関係をもってする点にある。刑務所対裁判所関係の特別性をいかに強調しようとも、その特別の関係が何故に法令に代替しうるのかの理由ないし根拠については、ついにこれを見出し難いといわなければならない。

多数意見は、裁判官が司法研究や平素の研鑚のために刑務所以外の官庁や民間の各種団体、企業等に対して資料等の提出を求めるような場合には当該裁判官の権限を認めない趣旨と解されるが、刑務所に対する場合のみは卒然としてこれを認めることができるとすることに対しては、奇異の念を禁じえないのである。

これを要するに、多数意見は、上述の権限を認めうる調査対象を刑務所に限定する点を除いては、実質において原判決の前示見解とその基調を同じくするものである。遺憾ながら、私の同調し難い所以である。

六 以上のとおりであるから、本件については、原判決の認定するとおり、被告人が司法研究その他将来担当することあるべき事件一般の参考にするための調査活動であることを仮装したとしても、せいぜい裁判官の地位・身分の濫用があったと認めうるにすぎず、刑法一九三条に該当する職権濫用の行為があったとすることはできない。

原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな重大な法令解釈の誤りがあり、刑訴法四一一条一号によりこれを破棄しなければ著しく正義に反すると思料する。

(裁判長裁判官 宮崎梧一 裁判官 栗本一夫 裁判官 木下忠良 裁判官 鹽野宜慶 裁判官 大橋 進)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例